史上最も成功したスーパーモデル
世界中にその名が知り渡り、圧倒的な人気を誇るスーパーモデルになるには、一体何が必要なのでしょうか?美しい外見だけでしょうか?印象に残るキャットウォークでしょうか?私たち見る者を「ワオ!」と驚かせるモデルこそが、きっと大きな成功をおさめるのでしょう。彼女たちは、セクシーさと力強さ、そして多大な努力を象徴しているのです。長年にわたり、世界的に成功した有名なモデルたちはたくさんいますが、今日は、ファッション業界のみならず全世界に大きな影響を与えた伝説的なスーパーモデルを紹介します!
ナオミ・キャンベル
わずか15歳にしてモデルとしての才能を見出されたナオミ・キャンベルは、1980年代後半から1990年代初頭にかけて最も有名なモデルの一人となりました。ファッション業界と各国のメディアは、彼女をスーパーモデルと大々的に呼びました。ナオミは、モデル以外にもさまざまな活動に手をつけています。R&Bのスタジオアルバムを発表し、数々の映画やテレビ番組に出演し、リアリティ番組『ザ・フェース』にも出演しました。生い立ちとしては、サウスロンドンのジャマイカ人ダンサーの家に生まれ、幼少期をイタリアのローマで過ごしました。ナオミの母親は当時、コンテンポラリーダンサーとして働いていたそうです。1978年、ナオミは7歳の時に、ボブ・マーリーの曲『Is This Love』のミュージックビデオに出演し、初めて公の場に姿を現しました。また12歳の時には、カルチャー・クラブの曲『I’ll Tumble 4 Ya』のミュージックビデオに出演し、そこではタップダンスを披露しています。
ジジ・ハディッド
2022年現在、世界で最も有名な若手モデルであるジジ・ハディッド。アメリカ出身であるジジは、2014年11月にトップ50モデルとしてデビューした後、2016年には英国ファッション協議会によってインターナショナル・モデル・オブ・ザ・イヤーに選出されました。こうして勢いに乗ったジジは、過去4年間で世界各地のVogue誌の表紙をなんと35回以上も飾っています。ちなみに、ナザレの王子であるダヘル・アル・オメルはジジのお父さんの先祖にあたるそうで、妹のベラ・ハディッドもモデルとして活躍しています。モデルはジジにとって人生最初の仕事で、わずか2歳の時に始めました。有名ブランドGuessの創始者ポール・マーシアーノによってその才能を認められ、Baby Guessの赤ちゃんモデルとして起用されたのが始まりです。その後、学業に専念するためしばらく休養していましたが、2011年にモデル業に復帰。2012年、マルシアーノ氏は再びジジをGuessのキャンペーンの顔に起用しました。そして2013年には、大手モデル事務所のIMG Modelsと契約し、ニューヨークファッションウィークで正式にモデルデビューを果たしました。それ以来、ファッションウィークの主要なイベントには必ず参加し、有名ファッション雑誌の表紙を何度も飾っています。
ジゼル・ブンチェン
ジゼル・ブンチェンは、2001年以来、ファッション業界でトップクラスの収入を得ており、世界で最も高給取りのスーパーモデルの一人とみなされています。2007年には、エンターテインメント業界で最も裕福な女性第16位に選ばれています。そして2012年、フォーブス誌によって史上最も稼いだモデルに選出。そのわずか2年後、再び同誌によって、世界で最もパワフルな女性第89位にランクインしました。Vogue誌によれば、ジゼルは、痩せたモデルが主流であった「ヘロイン・シック」時代に終止符を打つのに貢献したとされています。その代わり、1999年にジゼルが活躍したことによって、ファッション業界は、曲線美とこんがり日焼けをしたセクシーで健康的なモデルへと人気が移行したのです。しかし実際、ジゼルのキャリアの始まりはそう簡単ではありませんでした。実際、海外のショーには2回しか出演していなかったのです。ところが幸運にも、アレキサンダー・マックイーンによって、ハイヒールを履いて滑りやすいランウェイを歩けることが評価され、1998年スプリングコレクションのショーに見事抜擢されました。